終戦の日に向けて


本日は70回目の終戦祈念日。
(記念日と書くようですが、あえて祈念としました)
武道館で追悼式が開催されてます。


私の母の疎開経験、逸郎さんの母の空襲経験の話を聴くたびに、戦争の悲惨さを痛感します。
逸郎さんの父は、実際に中国へ戦争に行かされ生きて帰国できましたが、89歳で亡くなるまで一切戦争の話はしてくれませんでした。
あまりにもむごい現実に出会ったからだろうと察し、私たちからも訊ねることはしませんでした。


そんな父でしたが、戦後になって中国へ3〜4回旅行に行き、現地の方々と暖かな交流をもっていたようです。


「あれだけ残忍なことをした日本人を、このように受け入れてくれて、中国人は心が広い」と逸郎さんによく言っていたようです。


私も20年程前に中国内を列車で1人旅をし、席の周りの方々から戦争の話を伺いました。
戦争中はひどいことを日本軍から受けたようです。
(筆記での会話でしたが、大体わかりました)


平和な時代に生まれ育った私は正直驚きました。
ただただ心から申し訳ないことをしたんだ、という気持ちになりました。


しかしそんな私の気持ちが伝わったようで、
「今は中国人と日本人は平和で仲良しだ」と笑顔で言ってくださり、皆さんとエネルギッシュに握手を交わしたという経験があります。



「これからはアジアの国々が世界をリードする平和な時代を創ろう。」と誓った瞬間でした。


それが今の私の音楽活動の機動力にもなっています。



戦争の記憶は、未来のためにも語り続けることが大事です。
米国等から日本が受けた被害はもちろんのこと、日本が他国へ行ったこと「申し訳なかった」という心もです。
人間の持つ傲慢な心を戒め、弱者への思いやりの心、そして育まれる愛のエネルギー、結果的に日本国内の諸問題(社会犯罪、いじめなど)の解決にもつながることと思います。



<情報>
http://www.ktv.jp/wonder/17pm/2015_07_27.html
戦争の記憶を伝えている100歳の現役ジャーナリスト むのたけじさん
【講演する むのさん】
「拝むなら、自分を拝め。神様仏様や英雄や政治家拝んだってだめだ」
肺がんを乗り越え、胃がんを乗り越え、全国を周り訴えます。


【講演する むのさん】
「止めさせようと思ったら戦争を始めさせない」
年老いた身体にむち打ち、反骨のジャーナリストを突き動かすもの。


むのたけじさん】
「一個の日本人として、一個の人間として、もうひとつジャーナリストとして責任があるのよ」
100歳の元従軍記者、むのたけじさんが見た戦争とジャーナリストの責任です。


むのさんは、第一次世界大戦の時代に秋田県で生まれました。
21歳で報知新聞に就職し、太平洋戦争が始まった年に朝日新聞の記者になりました。
そして、戦場の従軍記者として、東南アジアや中国で起きている戦争の現実を目の当たりにします。


(以下はこちらをご覧ください)
http://www.ktv.jp/wonder/17pm/2015_07_27.html