福島県富岡町に行ってきました

おとといの日曜日、福島県富岡町(帰還困難区域、居住制限区域)の視察ツアー(NPO法人読書普及協会主催)に参加しました。
帰宅後、様々な思いが渦巻いております。
ようやく、日記に書けるところまできました。


311以降、二本松市いわき市へはボランティアで何度も訪れたのですが、住民のいなくなった地域は果たしてどうなっているだろう・・・と気になって仕方ありませんでした。



ですので今回、富岡町ツアーに参加でき本当によかったです。
再入会する機会を下さった中ちゃんにも感謝です。


幹事役の大さん、チーム福島の皆様、バスの運転手さん、富岡町の様々なところ、帰還困難区域の側まで連れて行ってくださり、本当にありがとうございました。



帰宅困難区域では、全ての家の玄関先に鉄のバリケードが強制的に張られてました。
異様です。 防犯にもならない中途半端なバリケード



高台に建っているのに津波が来た「観陽亭」
1階部分はガラスや柱が崩れていました。



津波でめちゃめちゃの「JR富岡駅」
これは改札口だったところ。



セイタカアワダチソウが花咲く可哀想な田んぼ
でもこれで除染になるといいなぁ。



バスの進行を妨げる道路沿いの桜の伸びすぎた枝
そして案内役の大さん



建築途中の骨組みだけの家。
ローンは続いているのでしょう。


まだまだいっぱい掲載したい写真が・・・。


五感で感じた様々なこと、衝撃でした。


大さんから伺った話の数々は、避難や除染などに関して「権力」「見えないもの」と戦い続けておられ、まるで侍のように思いました。
しかもいい感じの脱力もありで。


また311直後、電源を復帰させるための「福島第二原発」所長さんと作業員200名の決死のお働きの話も感動でした。 


所長さんは、電気の配線などの現場で働いた経験が有り、津波で足元がガレキの中から、一つ流されずに残った発電機を見つけ出し、四つの原子炉につなぐため、ヘリコプターで数千メートルのケーブルを持ってこさせ、それを200名の職員で運び、各原子炉に接続し、冷却装置を復活させて事故を防いだという、大和魂の持ち主です。


でもこの話はあまり報道されていないようです。


富岡町など浜通りの方々は、突然に起きた現実に戸惑い、動かされ、悲しみを乗り越えようとしている人もいれば、気力を失った人もいて、まだまだ皆さんのお心は揺れ動いている最中。


最近この地域の報道は減る一方です。
私達ツアー参加者は「語り手」としての役割をいただきました。
伝えてゆくことで風化が防げて、そこに光が当たり闇を祓える。


被災された方々の心にも光が当たりますように。


「観光地」という言葉がありますが、これは光を観に訪れる場所のこと。
「大変な経験をしたからこそ輝ける」という人生の道理を私たちは既に知っています。
だから福島浜通りも、いつか必ず磨きがかかり、「世界的な観光地」になります。(きっぱり!)
あの広島・長崎のようにね!



津波被害でめちゃめちゃになった富岡駅で、駅を背景に写真を撮って頂きました。
周囲に憚りながらも、できるだけ笑顔をつくり両手を広げて。
「ここに再び笑顔が集まりますように!」
そんなイメージを浮かべ、両手をアンテナ代わりにし、大空からの光を受信!




観陽亭では、海と第二原発に向かって岩笛と篠笛を奉納演奏させていただきました。
まだ行方不明の方々、そしてお亡くなりになった方々へ捧げました。
それともう一つ、ここ富岡町に光を集め、発信するといったイメージも浮かべました。


即興での演奏は、マイナー調の旋律が出るかなと一瞬思いましたが、奏で始めると明るい未来を彷彿とさせる音色が次から次へと飛び出してくれて、大変にうれしかったです。


まず福島の為にできること。
富岡で見たこと聞いたこと感じたこと、話してゆく。
人から人へ伝播させ、みんなの問題として分かち合いたいです。


心はまだ富岡にいます。
でもこの辺でPC終わります。
長文、お読みくださりありがとうございました。


チーム福島の皆様、本当にありがとうございました。
またお会いしましょう。